2006年08月26日
こんなことができるんですね
ちょっと前に友人から教えてもらったサイトです。
ワンクリック募金!
1日1回ワンクリックで1円募金できます。
企業ごとにワンクリックできるので
http://www.dff.jp/ここからだと、1日9円
スポンサーの企業が、クリックした人に代わって
寄付してくださいます。
大きな力にはなれないけれど
1日ワンクリックなら出来ます。
パソコンを開いた時の日課にしてます。
投稿者 himono : 11:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月08日
3500年前
縄文時代です。
GW毎年近場ですませる我が家です。
今年は大田市(島根県)にある三瓶小豆原埋没林公園に行って来ました。
火山の噴火で埋もれた縄文時代の巨木が展示されています。
なんだか感動でした。
本当に大きいんです。
圧倒されます。
3500年前の巨木に手を触れることができます。
じみ~~な公園です。
遊具なんて何にもありません。
でも4年生になった次男も十分感動していました。
とにかくすごい!!
「木は長生きだね~。」
これが感想です。
わざわざでもぜひ訪れていただきたい
そんな場所です。
ちょっと山手に車を走らせると三瓶山があります。
そこには「三瓶自然観サヒメル」という施設があって
こちらは、小さな子どもさんにも喜んでもらえる施設です。
その周りに、サイクリングコースがあります。
次男にせがまれサイクリングしました。
7~8キロのコース。
ちなみに私は自転車乗れません(>_<)
で、工場長と2人乗りにのったのですが・・・・・・・
ギア無し。
その上、普通の自転車より、車輪が小さい。
前から
「ちゃんとこいでるんか~~~」
と怒鳴られました。
競輪選手のごとく頑張っていたんですがね~~~。
そのあとで行ったのが前述の埋没林公園
螺旋階段でかなり地下に入るのですが
下がったら、上がらなくてはなりません。
く~~~足が重い~~~(^_^;)
で、息子はもちろん平気ですが
2人は全身筋肉痛となりました。
感動と筋肉痛の残ったGWでした。
投稿者 himono : 14:09 | コメント (3) | トラックバック
2006年01月26日
卒業しました。
1昨年から参加させていただいていた
Webあきんど養成ジムを
先日卒業しました。
この間本当に色々な出会いがありました。
スーパーバイザーのカンドウコーポレーション福原勘二氏
の熱い思いが伝染し
受講生みんなが感動を共有して、
お客さまに感動を与えるショップオーナーを目指そうという
熱い人に変わっていきました。
私もこのジムに参加していなければ
ショップサイトを立ち上げることはなかったでしょうし
立ち上げたとしても
どうしたらよいかわからないまま
道に迷っていたかも知れません。
出会えた多くの方に本当に感謝の気持ちで一杯です。
そして、これからが出発です。
お客様に少しでも多くの満足をお届けできるようにと
思っています。
ありがと~~~~~~う!!
投稿者 himono : 23:55 | コメント (4) | トラックバック
2005年12月24日
海は暖かい!
今朝、競りから帰った工場長から聞いた話です。
底引き船の乗組員〈漁師さん)と話したそうです。
「寒いね~~」(お決まりのせりふ)
で、その次の言葉に驚いたんです。
「海は暖かいよ~~」
沖は暖かいそうです。
海水温度が12~13℃あるそうで
夜になって外気が冷えてくると
海から、もやがぱ~~と広がり
あたり一面真っ白になりとても幻想的なんだそうです。
(お風呂から湯気があがる感じかな?)
だから船の中も暖かいのだそうです。
漁をしたあと、浜田の港が見えてくると
とたんに冷えてきて
陸のほうから、す~~と冷たい風が吹いてくるそうです。
びっくりです。
海は寒いのかと思っていました。
夏は涼しく、冬は暖かいそうです。
しけても暖かいそうです。
その船は先日のしけでも
漁に出ていました。
(他の船は引き揚げていたのですが・・)
大きなパラシュートのような
うきを浮かべて、波から船を守るそうです。
いくら暖かいとはいえ
きっと船は大揺れだと思います。
命がけです。
甘鯛とってきてくれました。
もうすぐサイトアップします。
本当にありがとうございます。
そして、漁師さんが一番寒いといった
港では朝早くせりがあります。
(工場長もご苦労さま!)
さて、海水の温度ですが
例年ならもう少し低いということ。
低くなると先日お話した「エチゼンくらげ」は死んでしまうとか・・・
まだ元気らしいです(-_-;)
困ったものです。
投稿者 himono : 01:20 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月27日
写真!
先日お客様がお子様の写真を送ってくださいました。
このお客様とのご縁は
お子様の誕生の内祝いを送らせて頂いたときからです。
内祝いの「命名」がお二人!!
そう、双子さんの男の子です。
どんな赤ちゃんなんだろう?
かわいいだろうな~~~
と、送らせて頂く際に
お名前を書かせていただくたびに考えていました。
そしてこのたび送られたお写真!!
子ども(小三)と二人で
思わず
「かわいい~~~~~」
と絶叫してしまいました。
お客さまにお願いして
お客さまの声に掲載させていただきました。
お写真を拝見すると
心がほっこりあったかくなります。
てっきり、メリーゴーランドを2人でながめているのかな~
と勝手に想像していたのですが・・・
愛称「トト」ことお父様を2人で見つめている写真だそうです。
この時のお父様のお顔を想像して
本当に幸せな気分になりました。
赤ちゃんって、本当にかわいい!!!!
「ぼくもこんな風にかわいかった?」
と息子がぽつり!!!
もちろん
「かわいかったよ~~~」と
答えました。
何度も幸せにしていただきました。
友人にこのことを話すと
ちょっと前なら
「もう1人がんばってみたら・・」
なんていってくれてたのに
「河野さん。今度は孫だね!」
・・・・・・・だって(-_-;)
投稿者 himono : 17:33 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月14日
伝えたいこと!
週に一回学校に詠み聞かせに行っています。
先日「お母ちゃん、お母ちゃーん。むかえにきて」
(小峰書店 奥田継夫 文・梶山俊夫 絵)
を読みました。
1985年出版の絵本です。作者も4年生の時に島根県に集団疎開の
経験をしたそうです。
(私の担当も4年生です)
とてもつらい話です。
家で読んでみて、3度読んでも涙が出るので読むのはやめようかとも思いました。
でも勇気を出して読みました。
私たち世代は両親から戦争体験を聞いて育ちました。
戦争が怖いものだ。嫌だ。というメッセージをしっかりもらいました。
でも、そのメッセージを私の子ども達にはしっかり伝えられていないように思います。
実体験していないので、聞いた話だけではなかなかうまく伝えられません。
それで、この絵本を選びました。
読み進んでいくうちに、涙がでそうになるのですが
声や手が震えるのですが、なんとか読み終えることができました。
聞いている子ども達も
それはそれは真剣なまなざしで聞いてくれました。
最後のページが近ずくと
顔を伏せてしまう男の子さえいました。
(怖かったのでしょうか?悲しかったのでしょうか?涙がでそうになったのでしょうか?)
戦争の恐ろしさが少しでも伝わったのではないでしょうか?
「ごめんね。朝から悲しいお話したね!」
これだけ言うのが精一杯で、今日は2冊目が読めませんでした。
絵本からの抜粋です。
昭和19年9月22日、夜、9時52分。疎開第八特別列車は、先生と
子供だけを乗せて。発車した。
「お母さん、さようなら。勝つ日まで頑張ってきます。」
みんな、元気いっぱい手をふった。
17時間かかってやっと島根県に着いた。
おきたときも ごはんを食べる時も 教室でも お寺でも
24時間 ともだちといっしょだった。
秋は短く、木枯らしが吹くと、陰気な冬がやってきた。
そして、お父ちゃんもお母ちゃんも姉ちゃんも 妹もいないお正月。
そのころから 家に帰りたくなってきた。
シラミがわいた。
ノミもでた。
食べるものも少なくなった。
「食べ過ぎた時に飲むねんよ。」と渡された胃の薬を食べてみた。
一瓶みんな平らげた。
きみずが胃から上がってきた。
お腹が減って減って、土の上を転げまわった。
誰もみんながりがりだ。
食べ物のことではよく喧嘩が起こった。
ぼくは弱かった。
勉強がよくできるといっては、
ねしょんべんをしたといっては顔の洗い方がサルに似てるといっては・・
いじめられた。
ぼくも弱いやつをいじめた。
だんだん集団疎開が嫌になって来た。
とうとうーーー。
「先生、家に帰らしてください。大阪へ帰らしてください。
お母ちゃんのところへ 帰らしてください。」と頼んだ。
そんなぼくに 先生は びんたを くらわし、
「お前らは 次の兵隊になるために集団疎開にきたのだ。
あまえるな」と言った。
強い子、良い子に育てようとした。
ぼくはお寺を逃げ出した。が・・線路の上でつかまった。。。
「お母ちゃん、お母ちゃーん むかえにきて・・・・」
電報が来た。
オトウチャンハ センシナサイマシタ カエラナイデ ヨロシイ ハハ
お父ちゃんが戦死!?
帰らないでよろしいって、、お母ちゃんのばか ばかばか。
待ちに待った面会の日、お母ちゃんがほかのお母さんに混じって
門のところに立っていた。
この春のような この光のような この海のような あたたかいもの。
ぼくはかけよってお腹の底から 声を出した。
「お母ちゃーん、ぼく かえりたい。」
ぼくはおもいきりおかあちゃんに甘えた。
長い間‘お母ちゃん’というものに飢えていた。
戦争というものが格好のいいもんでもなく、つらくて つらくて
しんどいもんであることが やっとわかってきた。
ぼくは自分で集団疎開に行くといっておきながら、
お母ちゃんが帰った後では
----お母ちゃん、はよ むかえにきて。
と毎日拝むようになった。
3月13日、大阪が空襲で焼けた。
母さん、姉さん、妹も即死だったと先生に聞かされた。
「辛抱するんだぞ。これもお国のためだ。悔しかったら
早く大きくなって兵隊になれ。」
いくらおくにのためだといわれても、
いわれるはしから はしから 涙が流れ落ちた。
8月15日、戦争は終わった。
大人は悔しがって泣いたが、
友達は「家に帰れる」といってよろこんだ。
ぼくは帰る家もなかった。
悔しくも嬉しくもなかった。
ぼくは、おもかげをおって、一人で 線路を 歩いていた。
ーーーお母ちゃん。
ーーーお母ちゃーん。
ーーーお母ちゃぁーん。